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荒廃するチベットの教育

チベットを弾圧する中国への支援を止めさせよう!


このページのまとめ

チベットにおける教育の問題点は主に次の4点です。

・教育の機会が奪われている
教育機関であった寺が徹底的に破壊され、チベットの子供たちは半分以上が小学校にすら行けない。
・言葉を奪われている
チベット語での教育をまともに受けられない。
・漢化政策
チベットの伝統・文化の批判と、中国の“進んだ”文化を学ばされる。優秀なチベット人は、中国に引き抜かれて教育を受ける。
・漢民族優遇(=チベット人冷遇)
教育費のほとんどが流入した漢民族のために使われる。大学入試が中国語、食堂のメニューにまで格差あり。

チベット亡命政府 情報・国際関係省著「チベット入門」より


■言葉を奪われたチベット人

過去30年間にわたる中国のチベット教育政策は、パンチェン・ラマ10世の次の言葉に集約されている(1988年)。

「7世紀以来、1300年にもわたってうまく機能してきた国が、解放後にその言葉を失いました。仏教であれ美術工芸であれ天文学であれ、あるいは占星術や詩歌、論理学であれ、ありとあらゆるものがチベット語で著されてきました。チベット文化を死滅させるのが党の最終目標だとするならば、それは賢明とは言えないように思います。チベット語ははたして存続するのでしょうか、それとも滅びるのでしょうか」

独立していた時期のチベットには、6,000以上の僧院・尼僧院があった。それらは学校や大学としても機能し、チベットの教育需要を満たしていた。他に、政府や個人が経営する在家用の学校もあった。中国政府にとって、こういった伝統的な教育施設は「迷信」の源泉であり、「封建的抑圧」を醸成する土壌に他ならない。文化大革命の時期、これらの僧院・尼僧院は徹底的に破壊された。

1959年〜1966年にかけて、中国政府は多くの「思想矯正」運動を展開し、チベットにおける支配力強化を狙った。教育のあるチベット人−僧侶、僧院長、ゲシェー[チベット仏教の最高学位を持つ人。博士]、学者など−が、刑務所や強制収容所に送り込まれた。資格をもつ教育者たちが獄中つながれていた間、学校は1人2人の無資格の先生によって運営されていた。

1966年以降、チベットを漢化をすることがスローガンとなった。チベット語は仏教のための言葉だとされ、学校で教えることが禁止された。1960年代のある時期には、僧尼や免状のある俗人教師のほとんど全員が教壇から去るように指示を受けた。チベット語の文法書『三十頌』は「迷信の書」というレッテルを貼られ、教育の場から遠ざけられた。その代わりに毛沢東語録や新聞が教科に組み入れられた。

子どもたちは、チベット仏教は迷信、チベットの因習は「古く青くさい考え」、チベット語は「無用で遅れた言葉」、そして昔のチベット社会は「きわめて後進、野蛮かつ差別に満ちていた」と教えられた。中国人に同意する人々が進歩的だとされ、反対する人たちは反革命分子、反動主義者、階級の敵などと、さまざまな呼び方をされた。当然ながら子どもたちの世代はみな、自分たちの文化や歴史、生活様式をまったく知らないまま育つことになる。

マルクス主義的な中国風の名前がチベット式の名前に取ってかわり、建物や道路、広場などに名付けられた。また、チベット人の多くが中国風に改名させられもした。ダライ・ラマの夏の離宮ノルブリンカは「人民公園」になった。チベット語は中国語に徐々に侵食されていった。

このような漢化政策は次のような弊害をもたらしている。

「チベット人の先生とチベット語翻訳のできる人間が、とても少なくなっている。その結果、チベット語と中国語で公文書を発行、利用することがとても骨の折れる作業となった。チベット語を正しく読み書きできないチベット人役人が非常に多い。党の政策をチベット人に布告することもできない」(チベット自治区の中国人官吏)

「チベット語を使うと経済発展が阻害される、と考える人たちがいる。地方当局は中国語のみを教え、中国語のみを使うべきだとしてきた。この政策が始まってからもう何年にもなる。その結果、人々は中国語はおろか、チベット語も書けなくなった。そして経済は停滞した」(青海民俗学院講師サンガイ氏)


■教育の機会を奪われたチベット人

中国政府は寺院を破壊した後、農村・遊牧地帯のチベット人に自前で「民間学校」を創らせた。建設に際して、1銭の助成金も出なかった。
中国の説明では、「チベット自治区」に2,500以上の小学校を開設したというが、その大部分はどう見ても学校と呼べる代物ではない。そもそも先生の多くは、初歩のチベット語さえろくに教えられない。

中国の公式刊行物『西蔵研究』(チベットレビュー)(1986年第2号)では、3人の中国人社会学者が次のように認めている。

「(チベット自治区には)58の中学校しかない。そのなかで本当に中学と呼べるのは、わずかに13校である。また、チベットには2,450の小学校があるが、政府の資金で作られたのは451校しかない。じつに2,000校以上が民間によって作られている。そのような学校はしっかりした財源もなく、設備も整っていない。教育水準に至っては完全にゼロか、そうでなくても限りなくゼロに近い。したがって、理科系の知識など望むべくもない。
就学年齢に達した子どもで小学校に通っている者は、わずか45%にすぎない。そのうち卒業して中学校に進学するのは、10.6%である。つまり、55%の子どもが初等教育さえ満足に受けられないでいる。
チベット自治区全体で9,000人余りの先生がいるが、とても必要人数には足りていない。しかも、そのうちの半数は十分な資格をもっていない。民族の平等は、この状況が改善されてはじめて現実のものになるといえよう」

英国レプトン・スクールのジョン・ビリントン校長は、1988年にチベットを旅したときの様子を次のように報告している。

「とくに町から離れると、たくさんの子どもが外で働いているのをよく見かける。草刈り、家畜番、ヤクのフン集め、家畜小屋の仕事……。聞くと、学校には行っていないという。理由はたいてい、学校がないからだ。悲しいことに、年輩の人の話では、以前は僧院に付随する学校があったが、僧院が破壊された後は、学校が再建されることがなかったという。年輩の遊牧民は、読み書きができた。なのに彼の孫は字を識らず、また中国政府の無策に、私はいつも憤りを覚える 」


■漢民族優遇の教育政策

中国政府は、チベットの教育の発展のために11億元を投じてきたという。これが真実であるかどうかは別にして、明らかなのは、助成金の恩恵に1番浴しているのが中国人の生徒たちだということである。

チベット自治区の教育支出の30〜50%が、シェンヤンという漢族の町にあるチベット民族学院に使われている。中国人の教官と職員の多くは、チベットの侵略に加わった第18軍のかつての兵士だった。また学生の多くは、チベットその他に住む中国人幹部の子弟だ。
ラサ、シガチェ、ギャンチェ、チャムド、シリン(西寧)、キグド、ダルツェド、デチェンなどの町にも優れた学校はあるが、これらの学校は、主として中国人幹部の子弟を対象としている。これらの学校では、チベット人と中国人でクラスが分かれており、資格のある先生が中国人のクラスを担当する。食堂も二つある。「ツァンパを食べる人の食堂」と「白米を食べる人の食堂」である。メニューは、中国人の食堂のほうがずっと上等である。

大学に進学するには、高校を卒業し、倍率の高い入学試験に合格しなければならない。入学試験は中国語で行われるため、チベット人には不利である。近年では、地元で受験に失敗した中国人学生が、チベットに来て再受験するという傾向も増えている。一般にチベットの教育水準は中国よりもずっと低いので、こういう学生でも入学できてしまう。


■優秀なチベット人に対する同化政策

中国当局は、チベットの教育基盤を改善したがらない。1985年以降、チベット人に対して、より高い教育を受けさせようと努力が払われてきた。しかしそうした結果、中国の大学や学校に送り込まれる学生が増えることになった。成績のよいチベット人の子どもはチベットの学校から引き抜かれ、中国の学校に入れられる。チベット人は当然これに対し、チベット文化の衰退を狙った政策だとして憤慨する。パンチェン・ラマ10世は、チベットの子どもを中国に送っても、彼らをチベット文化の土壌から遠ざけるだけだと言っている。

1985年にラサで英語の教師をしていたカトリーナ・バスは言う。

「この時期、中国では4,000人のチベット人が勉強していました。政府は、チベットに教育費を投じるのではなく、1993年には中国に送る子どもの数を10,000人に増やすことを計画しています。
私たちの会ったチベット人の多くが、この政策はチベット文化のアイデンティティーを脅かすものだと感じていました。中国からチベットに帰ってきたとき、チベットの伝統を理解せず、むしろ嘲笑する若者が増えています。チベット人のなかには、この政策は中国政府の陰謀であり、チベット文化の価値を内側から腐食させるのが狙いだという人もいます 」




管理人コメント
 日本が朝鮮の言葉を奪い、名前も奪い…というのは、日本のマスコミがよく流していた話だが、チベットでは実際にそれが今行われているとは……。日本のマスコミは、作り話であることが明らかなものを大々的に報道し、本当の人権蹂躙を報道しない。これでは、報道機関としての存在価値はまったくない。
 中国政府がいうように、中国のおかげで、チベットが封建的抑圧から解放され、その恩恵にあずかっているのならば、なぜ、小さな子供たちが、死の危険を冒してまで、6000m級の冬のヒマラヤを越えて、外国に逃げ出す必要があるのか。

 それについての詳細は、ヒマラヤを越える子供たちを参照。

参考サイト
チベットの教育事情 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所サイト内ページ。このページはそれを編集したもの。

2008.04.29



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