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以下の情報は、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所サイト内の、人権問題 - Human Rightsから、主に女性と子供に対する人権侵害の部分を集めたものです。中国がチベットで行っている人権侵害の詳細については、そちらを参照してください。読みやすいように文章を減らしましたが、それでもかなり多いです。でも、どうか最後の私のコメントまで読んでください。
■ 女性の人権(強制不妊手術と人工流産)
1987年、チベット自治区の104,024人の出産適齢女性のうち、76,220人が既婚者である。このうち、22,634人がすでに不妊手術を受けていた。これは既婚の出産適齢女性の30%に当たる。1986年、ニンティ地区、ロカ地区、シガツェ地区で、女性の19%が不妊手術を受けている。 カムとアムドでは、さらに抑圧的な政策が取られている。 たとえば、甘粛省パリ・チベット族自治県では、1983年、2,415人の女性が不妊手術を受けたが、その82%がチベット人だ(パリにおけるチベット人の比率は29.9%にすぎない)。また1987年には、四川省カンゼ・チベット族自治州のザチュ県で、764人の出産適齢女性が不妊手術を受けたが、そのうちの660人がチベット人だった。産児制限チームが農村・遊牧地域を歩き回っては、女性たちを集めて中絶や不妊手術を施している。すでに腹部の大きくなっている女性にさえ中絶が強制され、不妊手術が行われた。 1996年末、ラサ市のある地域で、22日間で、既に3人出産した308人のチベット人女性に不妊手術が行われた。チベット自治区のジャムドゥン町では、16歳以上の全てのチベット人女性に、長期間、避妊用具が導入された。そのうち3人が強制手術の結果、死産した。 チベット人女性に対する強制手術や人工流産は、チベット内に大量の中国人が移住していることと関連して、チベット民族の存続に深刻な危機を及ぼしている。多くのチベット人女性の子宮内に機器が埋め込まれているが、何の装置なのかということはもちろん、埋め込まれていることすら教えられていない。この装置の金属が腐蝕したり、肉が装置に癒着した例が報告されている。 中国政府は、出生計画を実行する際、「本人の意志を尊重する」原則は堅持しており、強制中絶の類はすべて禁止している、と主張している。 ■子供の人権
学校教育ではチベット語が排除されている。1997年4月、チベット自治区は、小学校教育での主要語はチベット語に代わって中国語とする、と発表した。 亡命したチベットの子供たちの証言によれば、彼らは、チベットの衣装を着ること、チベットの食べ物を食べること、チベットの祭日を祝うこと、さらにダライ・ラマの写真を持つことなどが禁じられていたという。中国経営の学校では、小学生(6歳〜12歳)にさえ残酷な処罰が行われている。工業地域の清掃作業、教師の衣類の洗濯、排水の掃除、ゴム製こん棒、鞭、ベルト、電線、椅子、竹の棒等による連打が行われている。 ■女性と子供の囚人 強制収容所等から生還した人たちの証言をまとめると、チベット全体で収容者のおよそ7割が死亡している。北チベットのジャン・ツァラカでは、10,000人以上の囚人が収容され、ホウ砂の採掘と運搬に従事させられていた。生還者によると、毎日10〜30人が飢えや殴打、過労で死亡し、1年間で8,000人以上が死亡した。ラサのアチェン水力発電所の建築現場でも、毎日3、4人の収容者が死亡し、死体が近くの川に投げ捨てられたり、焼かれたりした。東チベットのダルツェド地区の鉛鉱では、1960年〜1962年の間に、12,019人の収容者が死亡した。 政治犯
尼僧を標的にして恣意的な逮捕も続けられている。彼女たちは拷問や酷使の対象となっている。 拷問 拷問は通常、尋問とともに行われる。被害者の回想によれば、拷問は次のような方法で行われている。
1980年代前半に、中国は電気警棒を使った拷問を導入した。囚人たちの体や顔を殴るのに使われたり、女性囚への性的暴行に使われた。膣や肛門に「電気棒」を挿入されたとの報告が多数ある。受け入れられない返答をすると、罰として囚人の口に電気棒が入れられ、深刻な舌肥大を引き起こした。歯を失った囚人もいる。手首や親指など身体の一部に電線をまかれて直に感電させられたり、水をかけてショックを増大させることもある。電気ショックの後遺症は非常に深刻で、体内の傷害や精神傷害につながることが多い。
看守によるレイプの報告は多くないが、尼僧たちはレイプをひどく恥じるため、報告件数よりもずっと多い可能性がある。 強制的な血液の抽出は、精神的にも肉体的にもダメージを与える拷問である。特に恒常的な栄養不良や暴行に加え、チベットのような高地で血を抜かれることは死を招くことになる。 60年代の大飢饉の時、中国当局は血液と食料を交換していたが、自発的に売血するチベット人はいなかったので、62年の中印国境紛争の際、血液を強制的に寄付させる運動に発展した。 通常の1.5倍もの血液が、15歳〜35歳のチベット人から抽出された。この運動で飢餓に苦しむ多くのチベット人が死んだ。 血液抽出は「健康チェック」という名のもとに行われることもあるが、「診断結果」を知らされることはない。 拷問には、体内に傷害を与え、拷問の痕跡をわかりにくくする、という巧妙な手口がある。腎臓付近に集中的に暴行を加えるのだ。そのため、腎臓の傷害が死因となるケースが多い。拷問で障害を受けた後も、囚人たちは十分な治療を受けられず、受けられた場合も遅すぎることが多い。生き延びた者も、多くの場合拷問の傷が消えることはない。 拷問は、特に若者にとっては、はかりしれない精神的影響がある。たとえ1ヶ月の間でも、始終拷問を体験した子供たちは、理性を働かせる能力を失うことが多い。 ■中国が行っているチベット人女性に対する拷問の実例 ・監獄内でお経を唱えているのが見つかった尼僧は、電気棒を口に入れられ、さらに五体投地(礼拝)を行ったことで、水と氷の中で五体投地をするように強制された。 ・妊娠3ヶ月の女性は、逮捕された夜、14時間寒い部屋で立たされっぱなしだった。彼女は、尋問者に妊娠中であると訴えたが、無視されて尋問が続けられた。翌日、彼女は監獄の便所で流産した。 ・尼僧リンジンは1989年3月8日のデモに参加し逮捕されたが、1週間も経たないうちに釈放された。ところが、彼女が尼僧院に戻ってきた時は危篤状態だった。腎臓は拷問で損傷を受けていた。1990年、25歳の若さで死亡した。 ・尼僧クンチョク・ツォモは1993年5月のデモで逮捕され、銃の床尾で暴行を受け腕を骨折したが、治療もされずに3年間刑務所で過ごした。刑務所では、羊毛を分別し洗うノルマを課せられ、そのせいで腕の状態はさらに悪化した。 釈放後の診察では、骨折部分に肉がくいこんだ状態で固着してしまっていた。
「私は刑務所近くの病院に連れて行かれ、2瓶分の血液を抽出された。公安当局は私に立つよう命令したが、とても気分が悪く立てなかった。そのため公安当局は私を棒で殴打し始めた。彼らはまたゴムの管を私の口に押し込め、それに放尿した。彼らは私を何度も殴り、私はついに怒ってこう叫んだ。『殺したいんなら、早く殺せ!』。彼らは私を殺さず、その代わりに汚物まじりの塵のたくさんある独房に私を連れ戻したのだった」 ・ラサの尼僧ピュンツォク・ヤルギは92年2月に逮捕された。1994年、彼女は中国人の医者に2度にわたって背中に注射を打たれ、体液を抽出された。 ピュンツォクは昏睡状態になり、爪、舌、唇は青みを帯びた黒色に変色した。 6日後、20歳の若さで亡くなった。 報告によれば、酷い暴行のため、遺体は全身にわたって黒色、青色に変色していた。 右足は真っ黒に、そして眼と口は血で染まっていた。 ・政治囚、尼僧シェーラブ・ガワンは15歳で亡くなった。釈放された2ヶ月後である。獄中で自由を求める歌を他の尼僧たちと歌ったため、電気棒、砂を詰めたプラスティックの管で殴られたという。「看守たちにひどく暴行され、誰だかわからないくらい体中が打撲傷だらけになっていた」。独房に3日間監禁された後、シェーラップは背中に鋭い痛みを感じるようになった。記憶喪失にもなり、普通に食べることさえ困難になっていた。 囚人仲間が懇願し、ようやく病院に運ばれた。 「釈放された時、拷問といい加減な治療で重体になっていた彼女は、ラサの他の病院に運ばれた」。診断した医者たちによると、彼女は腎臓の機能不全及び肺に損傷を受けていた。 ・25歳の尼僧、ツルティム・サンポは、ダプチ刑務所での抗議運動に参加したために、殴打され亡くなった(判明しているだけで、10名死亡)。
2001年イタリア・フィレンツェの市議会は、残虐行為に対するガワン・サンドルの一貫した非暴力の姿勢に、満場一致で「フィレンツェ市民栄誉賞」の授与を決定、フランスでも彼女の伝記「囚われのチベットの少女」が出版され話題を呼ぶなど、国際社会にガワン・サンドルを釈放させようとする機運が生まれた。EUや米国の政府レベルの中国政府に対する働きかけにより、2002年10月ガワン・サンドルはついに仮釈放された。 関連書籍 囚われのチベットの少女 9才でデモに参加し逮捕、1990年、11才で「自由チベット万歳」と叫んだだけで再逮捕され、投獄され続けた尼僧ガワン・サンドルの半生。 かなり詳しい書評 ガワン・サンドルとラサの熱い日 ガワン・サンドルのプロフィールと主なニュース 【サイト管理人のコメント 2008.04.12】 最後のガワン・サンドルの話で、イタリアのフィレンツェ市議会が、彼女に「フィレンツェ市民栄誉賞」を与えたことや、EUや米国が中国に働きかけて彼女を釈放させたことは、国際的に非常にニュース性の高い情報である。 しかし、日本のマスコミは、それをほとんど報じていなかったし、日本の政府もこの問題に関心を示して積極的に関わろうとしなかった。 ガワン・サンドルのケースは、外国からの圧力が、中国の人権弾圧にある程度効果があることを示している。
だが、日本の政府、マスコミは、中国で行われている人権蹂躙をよく知っているにもかかわらず、知らないふりをし、国民にそれをできるだけ知らせないようにしている。逆に、確実に中国に対する強い圧力になっている聖火リレー妨害行動を、暴力と捉え、それを批判しさえしている。
恥ずかしながら、私はつい最近まで、フィレンツェの市議会が、ガワン・サンドルに「フィレンツェ市民栄誉賞」を授与したこと、EUや米国が中国に働きかけて彼女を救出したことはもちろん、ガワン・サンドルという女性も全然知らなかった。フィレンツェの市議会が授与した賞は、政治家の人気取りのためにできた我が国の国民栄誉賞とは比較にならないほどの価値があるではないか。なぜこれを大きなニュースとして報じないのか。普段は与野党とも平和外交、平和国家などと言ってるのに、なぜEUやアメリカと共同歩調をとらなかったのか。国連中心主義をうたう国会議員たちも、なぜ、国連の「拷問禁止条約」「女性に対する暴力の撤廃に関する宣言」「子どもの権利条約」に違反している中国に対して何も批判せず、中国詣に熱心なのか。 刑務所の中で拷問を受けても、命乞いをせず、信念を曲げないチベット人たちと、安全地帯にいながら、命ぜられれば胡錦涛の靴さえ舐めかねない我が国の政治家、言論人。我々がどちらを尊敬し、どちらから学ばなければならないかは明らかだ。 胡錦涛の訪日が迫っているが、彼は1989年のラサ蜂起を鎮圧し、それが評価されて国家主席にまで上り詰めた男である。もちろん、彼の弾圧により刑務所に収監された政治犯は、ここに書かれたような拷問を受け、女も子供も死んでいった。彼の弾圧で、拷問死も含め、少なくとも8万人が犠牲になっている。
まもなく、我が国が国賓として迎えるその男と、天皇陛下がグラスを合わせた写真が、全世界に流れることになる。 参考 人権問題 - Human Rights 、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所サイト内ページ。中国によるチベット人の人権蹂躙について詳細をお知りになりたい方がぜひこちらをご覧ください。 「中国」の実態を告発する国民集会 に行ってきました 関連ページ チベット亡命政府発表 チベットからのレポート(2008年3月)中国はいかにチベットを侵略したか そして中国はいかに日本を侵略するか 抗議行動を行って殺されたチベット人 卓球少女愛ちゃんが胡錦涛と楽しく卓球していたときチベットでは… |
2008.04.12
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